葬儀委員長挨拶
言うべきことはありませんが、「あんたも私も二人で一つ、わいもケツふって踊りまっくたんで、スウィート・ホーム大阪、スウィート・ホーム大阪」。桑名正博君のデビューアルバムの一曲。僕はこの曲がとても好きで、よく酔っぱらって歌ってました。1973年、彼が19歳の時です。
日本を代表するロッカー、ロックンロール・ボーカリストだと、いつもステージの脇から見ながら、多くのミュージシャンと聴き惚れておりました。たまには、酔っぱらって、暴れたりするところは、まあ、オレやジョーや力也と共通点がありますけども、後半の彼の人生は、地に足の着いたボランティアや、本当にハートフルな100カ所のツアー、その途中に倒れたという、ロッカーとしては、そういう意味では幸せな人生だったと思います。
残念なのは、ロックンロール、せめて、せめて、69歳までは生きて欲しかったと思います。
自分もロック+スリーになって、ロック界では、最年長の部類になりましたけれども、初心を忘れずに、これからも歌い続けてやろうと、昨日、決心しました。
こんなに大勢の人に愛されて、東京からも大勢の人たちがいらして、彼の人間性、人格、そしてチャーミングな笑い声と、すばらしいボーカルに、改めて僕も感心した次第です。
奥さん、お母さん、アキコさん、晴子さん、そして、この後、桑名正博の遺志を音楽でもっと世界中に広めて欲しいと思う、美勇士君、そしてレン君。君たちの双肩に桑名正博は、かかっていると思います。本日は本当にありがとうございました。
桑名正博君、ロックンロール!
内田裕也 |