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NYWRF 追悼 内田裕也

いつかこの日が来ることを予感しながらも、あと1年、いやあと2、3年はと、内田裕也は生き続けるものと思いたかった。
いつの頃からか、このコンサートはユーヤ亡き後はどうなるのかと、ファン同士で心配するようになり、まぁ追悼はできるだろうけれども、その後が問題と、話しあっていた。
第47回、ついにその追悼の日がやってきた。
トルーマンカポーティのメンバーが開会を告げ、一番手は「カブキロックス」。まだ年は開けていないが、正月気分全開の「オ♪エ♪ド♪」。一緒にやらないと縁起が悪いと言われれば、ついやりたくなる。
次に登場したのは、Newの印のついた「THE JIVES」、正統派ロックンロールの若い担い手に、時の流れと、ロックンロールが確実に引き継がれていることを感じる。
三番手に、「THE mammy rows」。すぐには気づかなかったがザマミロウズ!だった。ご機嫌に踊る少女が、眩しい。
そして「肉食パルチザン」。良い子は真似をしないでくださいのキワモノ系だが、ニューイヤーの味付けの一つ。ここまで新人が続いて、「トライポリズム」。もはや中堅と呼ぶべきか、美勇士のバンドである。父母は桑名正博、アン・ルイス、二人ともニューイヤーの出演者で、正博氏はin 関西を10年続けた。その美勇士のラストナンバーは、ロックバージョン「月の明かり」。この表現にもっと奥があるような気がするのは欲深すぎるだろうか。
続いて、「JIU~慈雨」。レッズの新しいバンド。確かなボーカルで聴かせる。レッズはMCだけの回もあったので、やはりバンドを続けて欲しい。
カウントダウンはまだだけれども、コンサートは中盤に差し掛かり登場したのが「活躍中」。このバンド名はある種の自虐でもあるのか、まだまだ活躍中の近田春夫のバンドである。ピコピコは健在で、近田は近田の顔で笑っている。
音楽の広がりを感じさせる構成で、次は「STORM」。バイオリン、チェロ、キーボード、女性ばかりのエレクトリックサウンドで、クラシックのインテリジェンスも感じさせる。
ここからガラッと変わって、「高樹町ミサイルズ」。中村獅童がショーケンのララバイを歌った。原田芳雄、松田優作の系譜に繋がりながら、獅童は仲野茂とタイアップして、やんちゃぶりを披露する。ロックに歌舞く歌舞伎界のプリンスである。
そして「Th eROCKERS」、陣内孝則はあの頃のまま膝を曲げてジャンプする。ロック界からザ・芸能界に躍り出たスターは、ゴージャスなジャケットを見事に着こなしている。
ニューイヤーロックの熱気を堪能したところで、「Flower Travellin’Band with Ray」。ジョーの息子、Rayがボーカルを取った。涙が溢れそうになる。Flower Travellin’Band のオリジナルメンバーが健在のうちに、Rayが間に合ってくれた僥倖に感謝する。Rayがこの選ばれた運命に答えてくれることを祈る!
今日のコンサートの構成は誰がしたのだろう?ニューイヤーロックフェスの真髄を熟知している誰かがいる。
続けて、「シーナ&ロケッツwith LUCY」。鮎川誠はLUCYが歌うのが嬉しくてしょうがないように見える。LUCYはときどきシーナの顔をしてシャウトする。大切な人をたくさん失ったけれど、後を繋いでくれる人が必ず現れる。
そろそろ年が明ける。
「内田裕也&Truman Capote Rock’n’Roll Band」!
スクリーンに登場するあの日、あの時のユーヤ。去年テレビ放映されなかった「決めてやる今夜」がスクリーンに流された。一年前、わたしはリハーサルから見ていた。
「もうヤケクソだ!」とユーヤは言った。思うように声が出ず、自分に苛立っていた。2曲か3曲と言っていたのを、1曲増やして4曲歌った。そしてこれが、最期の一曲となった。
「Ceremony」がはじまる。カウントダウンだ。
オレにはコミック雑誌なんかいらない♪いつの間にかユーヤは一緒に踊っている。この瞬間はみんな楽しくてしょうがないという顔をしている。タッタッタタッタ♪ギターを下に!タッタッタタッタ♪ギターを上に!ダックウォークを右に左に!しゃがんでしゃがんで、ジャンプ!47年、同じことをしている。これがここに集う人たちの新年の幕開けなのだ。
さて、2020年、最初のバンドは?
「亜無亜危異」だ!仲野茂の抑制の効いた不良ぶりがいい。ただし彼の水吐きは要注意。カメラが濡れると困る。それでいて、シャッターチャンスを捉えたいとも思う。
もうこれこそが、ニューイヤーロック!わたしはこのコンサートを失いたくない。
続いて「白竜」!骨太の声が響く。誰のためでもない、自分のために!無意識のうちに新年の決意を固めている自分がいる。そして「決めてやる今夜」白竜バージョン!
ニューイヤーロックに浸り切って、さらに「頭脳警察」!パンタが元旦から世界夫人に別れを告げている。わたしたちは何度この忌まわしい世界と決別すれば気が済むのか!
続けて「高木完」。「恋の昔気質」は、内田裕也「コミック雑誌なんかいらない」(cd)から。この曲は近田春夫のナンバー。
コンサートは、もう終盤に差し掛かっている。ここで登場したのが「KATAMARI」。このバンドは原田喧太がギター&ボーカル。言わずと知れた名優、原田芳雄の一人息子だ。桑名正博に師事し、ギタリストになった。日々の研鑽を感じさせるステージだ。喧太は「赤い風」を歌いはじめた。この曲は、内田裕也「さらば愛しき女よ」から。
そして「新月灯花 Feat. NEWS」。NEWSは泥臭いまでに社会派である。音楽に政治を持ち込むなという阿呆がいるが、NEWSの良心は新月灯花に引き継がれて、被災地のストリートに花を咲かせ続けている。
そして、大取りは、「カイキゲッショク」。この独特のメイクに彩られた男たちからは一編の詩が立ち昇ってくる。バッドボーイは繊細で切ない。難しい個性と個性がスパークしながら喧騒と静寂を紡ぎ出す。彼らは客席に背を向けて内田裕也の前に立った。ロックンロールスピリッツを引き継ぐ儀式のようにも見え、ニューイヤーロックフェスを続けるという誓いを立てているようにも見えた。もちろん観客もこの誓いの場に立ち合っている。わたしもまた、このコンサートを失うわけにはいかない一人だった。鮎川誠が招かれ、バッドボーイは「決めてやる今夜」を歌った。そう今日は、何度でも、決められてやる今夜、なのだった。
夜中の3時をとおに回って、フィナーレ!みんな楽しそうに踊る。来年もまた、このコンサートが開かれることを誓い合うように。確かめ合うように。
すべてのミュージシャンが立ち去った後、スポットライトは1本のマイクを照らし出した。Rolling on the roadが流れてきた。ユーヤの声だった。一緒に歌う声が客席から聴こえる。
いつのまにかNew Years World Rock Festivalのアイコンとなったユーヤの両手を広げて世界を抱くかのような後ろ姿は、星の王子さまに似ている。
星の王子さまは小さな星にいて、悲しくなると何度も夕陽を眺めた。小さな星なので、ちょっと椅子を引くと、また夕陽を見ることができた。王子様は何度も椅子を後ろに引いて、気が済むまで夕陽をみた。
ユーヤが始めたコンサートは、日付変更線の始まりから終わりまで、HAPPY NEW YEARを世界中で鳴り響かせる。この日は、みんな武器を捨てて楽器を持とう。地球はゆっくりと回転しながら、すべての場所で幸福な新年を迎えるのだ。国連に言って、この日は停戦の日とすることにしよう。
日本各地で、そして世界で、多くのミュージシャンが楽器を奏でながら、歌を歌いながら年を越すことを提案しよう。何の宗教も関係なく、わたしの頭上にあるのはただ空だけ。地球の丸さを感じながら、音楽はすべての人々の生命を寿ぐ。#NYWRF のタグを付けてTwitter に写真や動画を上げて、新年はあちこちで産声をあげる。音楽をHAPPY NEW YEARを世界で共有しよう。そんな世界が訪れたとき、内田裕也の魂はようやく安らぎを得ることになるのだろう。

Rock’n Rollienne

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内田裕也 Rock’n Roll 葬 献花

https://yuya.peatix.com/

内田裕也 Rock’n Roll 葬 献花

詳細

2019年3月17日、稀代のロックンローラー内田裕也が亡くなりました。
4月3日に行われるRock’n Roll葬において、ファン一同で、お花を出したいと思います。
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内田裕也Rock’n Roll葬
4月3日 15:00~17:00 一般・ファン向け
東京・青山葬儀所
喪主:内田也哉子
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一口、1000円としますが、余裕のある方何口でもお願いします。

ロックンローラーにふさわしく、賑やかに送りましょう!
みなさんの献花で、下記、横尾忠則さんのポスターが花で再現されます!

 

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追悼 内田裕也

ウェブサイトにアクセスしていただいた大勢のみなさん、発信できていなくて申し訳ありません。
ずっと、言葉を紡ぎだせずにいました。

このサイトは、公式サイトではありますが、Rock’n Rollienneが半ば趣味的に作成してきたものです。
1998年に、当時70万画素のデジカメをなぜかNHKから貰い、そのデジカメで、年末のコンサートの不鮮明なステージ写真を撮りました。
ユーヤさんにその写真をお見せして、ウェブサイトにしようと思うんですと言ったところ、「ありがとう」と言われたので、サイト制作の許可と受け止めました。
今のサイトの感覚からは、とても公開するような写真ではありませんが、下記のページはそのままにしています。

http://www.nywrf.net/26/j.html

その後、「俺のサイトも作ってくれ」と言われ、uchidayuya.comというドメインを取得しました。
国会図書館で過去のぴあやニューミュージックマガジンのバックナンバーのコピーを取って、バイオグラフィーをつくり、都知事選のときの資料やデジカメなどない時代に撮った写真をスキャンして、サイトをつくりました。ごちゃごちゃとおもちゃ箱をひっくり返したような、手作りのサイトができあがりました。
また、ニューイヤーロックフェスティバルの過去のパンフレットを、のろいスキャナで一枚ずつスキャンして、1冊仕上げるのに1か月かかりましたが、こつことと作り上げたのが、http://www.nywrf.net/ です。
そして、お正月休みはこのサイト作りにすべて捧げるようになりました。

わたしがユーヤさんと出会ったのは、1980年の春でした。
内田裕也のステージを観て、内田裕也のCDを聴き、内田裕也の映画を観て、内田裕也のインタビュー記事を読み、内田裕也が読んだと言った本を読みました。
悲しくて悲しくて悲しくてしかたがありません。
しかし、幸か不幸か、仕事が忙しく、悲しんでいる暇がないので、もしかすると救われているのかもしれません。

2011年の大震災の後、4月6日に石巻に行きました。
電信柱にくにゃっと曲がった車が抱き着いているように見えました。ユーヤさんは、「今日は何でもします!」と言って、一緒に行ったピザ車のピザが一枚ずつ焼きあがるあいだ、歌って踊って被災者のみなさんに少しでも元気になって貰えるように、がんばっていました。
5月に、おかしな事件が起こり、このサイトでは、ファンが寄り添って耐えていました。
今も思い出すのは、じぶんは低賃金の工場労働者だけれどと言ってサイトに書き込みをしてくれた青年(多分)のことです。
つまらない日常に耐えられるのは、内田裕也が自由にカッコよく生きていてくれるから、なのでした。
ユーヤさんはわたしたちファンの生きる力でした。

たいへんな迷惑を被ったに違いない希林さんは、「わたしは謝らない」と記者会見で言っていましたが、わたしはファンには謝るべきだろうと思ってみていました。その希林さんも亡くなって、連れていくと言っていたので、ファン一同、結界を張ってお守りせねばと思っていましたが、力及ばずと言うより、ユーヤさんご自身が限界だったのだと思います。

ユーヤさん、きらきらとした時間を、ありがとうございました。

Rock’n Rollienne

 

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切り抜き!ロックンロールBAKA24

内田裕也.comを作り始めたのは、2000年5月。(1999年5月のような気もするのだが、ドメインの情報が2000年からになっている。。。2000年だったかもしれない。忘れた。。。)
サイトを作り始めた当初、ヤフオクで過去の雑誌を買いまくっていた。
国会図書館や、都立図書館に行ってコピーもとりまくった。
先日、久しぶりに、ヤフオクで資料を落札した。
雑誌ではなく、状態のいい切り抜き。
1500円だったが、ロックンロールBAKAの資料は貴重だ。
1979年開催のコンサートの記事と思い込んで落札したのだけれども、第2回は、1974年!
著作権はまだ有効なので、読みにくい写真の引用で申し訳ないが、ユーヤさんの芸能生活16周年と記事にある。
木の実ナナさんが初々しく、希林さんは、まだ悠木千帆さんで、ジュリーは妖艶。
切り抜きを保存してくださっていた方に感謝!
大切に保管します。

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クラウドファンディングに内田裕也の古着登場!

【内田裕也氏 公認】有休で選挙に出たロックな会社員!
山口あずささんを政治家にするプロジェクト

https://greenfunding.jp/sustena/projects/882-

Rock’n Rollienneこと、山口あずさの応援です。
よろしくお願いします。

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