東京のコロナ感染者が一挙に1300名を超えたというニュースを聞きながら、HIROプロデュースのNew Year Rock Festivalに向かった。無観客配信ライブだが、クラウドファンディングでライブ会場への入場の権利を手に入れる寄付というのがあったので、わたしはそれに参加した。2階席と聞いていたが、2階は1列しかなく、要するにvip席だった。ユーヤさんの遺影を持参した。
内田裕也が46年間続け、そしてその追悼としての47回が一昨年行われ、その次があるのかどうか、それは内田裕也がまだまだ元気な頃から、NYRFファンの間では心配の種であった。追悼はできる。問題はその後。
商業的な基盤がしっかりしているのであればまだしも、内田裕也は、資本主義経済社会の原則をおよそ無視しているような人物で、だからこそ不可能を可能にもし、同時にあらぬ軋轢を生んできたのだった。内田裕也でなければなりたたない、そういう世界を凝縮したようなNew Year Rock Festivalだった。
そして、47回の追悼コンサートで、HIROが後を継ぐと誓ったのだった。当然、誰もが快く応援するのだろうと思っていたが、内田裕也の威光が消えて、テレビ局の支援は得られず、個性と個性がぶつかり合うアーティストの世界で、ことはそう簡単ではなかったようで、その簡単でないことが、コンサートの企画に磨きをかけたように思う。
カイキゲッショクがオープニングを務め、Burning Loveに続いて、KILL COVID。家に帰ってから、Live配信のアーカイブを確認したところ、今回のコンサートは2020年に作られた曲というテーマがあったとのこと。ミューズの神様は酷薄で、苦しい時期に芸術は光る。骨のある楽曲が生まれているのを実感した。
Live会場は、LiveとLiveの間は休み時間のようなもので、控え室に戻って、飲み物を飲んだりお弁当を食べたりしていたが、Live配信を観ると、HIROは曲間のインタビューを一人で担当していて、その集中力にも責任感にも、改めて感心した。
わたしは、コンサートを楽しみながら、このコンサートの通奏低音のようなものを感じていた。内田裕也主催のコンサートは、演者が謙虚なのだ。どれほどの不良でも大スターであっても、「お前は俺のファンだろう」という態度はとらない。内田裕也主催ではない複数のアーティストの参加するコンサートに行くと、「?」と思うアーティストが1人や2人はいる。つまり、客の全員が自分のファンという態度でパフォーマンスを行うのだ。そんなステージに接すると、何を勘違いしているのかと冷ややかに眺めることになる。
HIROのNEW YEAR ROCK FESTIVALにも、勘違いアーティストはいなかった。むしろ、わたしの方が幸福な勘違いに浸っていた。他に観客がほとんどいないわけで、あろうことか仲野茂がわたしのためにだけ歌っているような錯覚に陥り、わたしは全身で幸福を感じていた。元旦から本当に幸せだった。
そして、コンサートのラスト、スペシャルゲストである長渕剛が登場した。内田裕也の墓前に挨拶を済ませてきたとのこと。ユーヤさんの骨はどんな音を立てただろうか?内田裕也が存命であれば、おそらくあり得ないブッキングだっただろう。「魚からダイオキシン」で、内田裕也は長渕剛のそっくりさんを殴り倒していた。個人的になにかあったのかなかったのか知る由もないが、映画の中でのいたずらめいたシーンではあるが、長渕氏はとくにクレームをつけるでもなく耐えていたのか。
今、長渕剛というフォーク界が生んだ大スターが目の前にいる。彼のステージは謙虚でいて、パワフルだった。
内田裕也というロック界の大御所について、彼は不快感を抱いていなかったのか、不快というより、少し寂しい気持ちを持っておられたのか。HIRO氏と長渕氏の葛藤に思いを巡らしながら、この瞬間に、内田裕也はHIROに否応なく完全にバトンを渡したように感じた。
一つ、エピソードを開示しておこう。いつのことだったか、ユーヤさんと一緒にいるときに、テレビ画面に長渕氏が映り、桜島でのコンサートを報じていた。何万人もの観客を集めたとのこと。どう反応したものかと思っていたところ、ユーヤ氏は言った。「これはすごいよ。」
内田裕也は認めるべきことは認めていたのだった。
もう一つ、コロナで世界は危機に陥り、大きな危機に直面し、人間は争いを始める可能性もある。こんななかで、長渕剛と内田裕也ワールドを見事和解に導いたHIROの慧眼に敬意を表する。
Rock’n Rollienne
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