追悼 内田裕也

ウェブサイトにアクセスしていただいた大勢のみなさん、発信できていなくて申し訳ありません。
ずっと、言葉を紡ぎだせずにいました。

このサイトは、公式サイトではありますが、Rock’n Rollienneが半ば趣味的に作成してきたものです。
1998年に、当時70万画素のデジカメをなぜかNHKから貰い、そのデジカメで、年末のコンサートの不鮮明なステージ写真を撮りました。
ユーヤさんにその写真をお見せして、ウェブサイトにしようと思うんですと言ったところ、「ありがとう」と言われたので、サイト制作の許可と受け止めました。
今のサイトの感覚からは、とても公開するような写真ではありませんが、下記のページはそのままにしています。

http://www.nywrf.net/26/j.html

その後、「俺のサイトも作ってくれ」と言われ、uchidayuya.comというドメインを取得しました。
国会図書館で過去のぴあやニューミュージックマガジンのバックナンバーのコピーを取って、バイオグラフィーをつくり、都知事選のときの資料やデジカメなどない時代に撮った写真をスキャンして、サイトをつくりました。ごちゃごちゃとおもちゃ箱をひっくり返したような、手作りのサイトができあがりました。
また、ニューイヤーロックフェスティバルの過去のパンフレットを、のろいスキャナで一枚ずつスキャンして、1冊仕上げるのに1か月かかりましたが、こつことと作り上げたのが、http://www.nywrf.net/ です。
そして、お正月休みはこのサイト作りにすべて捧げるようになりました。

わたしがユーヤさんと出会ったのは、1980年の春でした。
内田裕也のステージを観て、内田裕也のCDを聴き、内田裕也の映画を観て、内田裕也のインタビュー記事を読み、内田裕也が読んだと言った本を読みました。
悲しくて悲しくて悲しくてしかたがありません。
しかし、幸か不幸か、仕事が忙しく、悲しんでいる暇がないので、もしかすると救われているのかもしれません。

2011年の大震災の後、4月6日に石巻に行きました。
電信柱にくにゃっと曲がった車が抱き着いているように見えました。ユーヤさんは、「今日は何でもします!」と言って、一緒に行ったピザ車のピザが一枚ずつ焼きあがるあいだ、歌って踊って被災者のみなさんに少しでも元気になって貰えるように、がんばっていました。
5月に、おかしな事件が起こり、このサイトでは、ファンが寄り添って耐えていました。
今も思い出すのは、じぶんは低賃金の工場労働者だけれどと言ってサイトに書き込みをしてくれた青年(多分)のことです。
つまらない日常に耐えられるのは、内田裕也が自由にカッコよく生きていてくれるから、なのでした。
ユーヤさんはわたしたちファンの生きる力でした。

たいへんな迷惑を被ったに違いない希林さんは、「わたしは謝らない」と記者会見で言っていましたが、わたしはファンには謝るべきだろうと思ってみていました。その希林さんも亡くなって、連れていくと言っていたので、ファン一同、結界を張ってお守りせねばと思っていましたが、力及ばずと言うより、ユーヤさんご自身が限界だったのだと思います。

ユーヤさん、きらきらとした時間を、ありがとうございました。

Rock’n Rollienne

 

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「追悼 内田裕也」への2件のフィードバック

  1. Rollienneさん、お疲れ様です。サイトが立ち上がった頃からずっと楽しませていただいています。当時の掲示板に「裕也さんの映画をDVDで発売してほしい」と書き込んだら、本当に裕也さんがパイオニアの社長に交渉して実現してくれた時はシビれました!

    近いうちにこの日が来るのを覚悟していましたが、やっぱりショックです。身内が亡くなってしまったかのような喪失感を感じています。この年末年始に一緒に年越しできて幸せでした。

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